『バンビ』
小学校で使われている国語の教科書を見るたびに、不思議な気持ちになることがあります。動物たちを主人公にした物語が案外、たくさん掲載されているからです。彼らは姿格好こそ動物なのに、人間と同じように行動し他愛ないおしゃべりをします。
まるで着ぐるみの中に人間が入っているみたい。動物でもなく、人間でもない……。そう、動物である理由がわからない、ただの着ぐるみです。
いっぽう、同じように擬人化され、言葉を話す動物たちが登場するにもかかわらず、まったく正反対の印象を与えるのが『バンビ』ではないかと思います。ノロジカの子ども、バンビの物語です。
作者のフェーリクス・ザルテン(1869〜1945)は本当に自然が好きだったんでしょうね。だから、観察したこと科学的な知識として得たことから基本的に逸れない。そのうえで、「もし、動物たちが人間の言葉をしゃべれるのなら…」という気持ち(愛情のようなものですね)をバネにしながら、ふさわしい言葉を見つけ、森の動物たちのドラマをつくった、そんな姿勢が手にとるようにわかります。
日本でいえば、児童文学作家・椋鳩十(1905〜1987)の手法と共通するものを感じます。
さて、『バンビ』はノロジカの成長物語ですから、最初はこんな調子です。
「小鹿はもう立って、よろめきながら細い足をふんばり、目のまえをキョトンと見ました。でも、何も見えません。うつむいて、からだをブルブルふるわせています。まだ、なんにもわからないのでした」(9ページ)
異国人のように「なんにもわからない」状態から、やがて一歩踏み出します。危険と隣り合わせの草原を前にした親子の会話です。
「『わたしが呼ぶまで、おまえはここにいるの』すぐにバンビは足を止め、おとなしくなりました。『そう、いい子ね』お母さんがほめてくれました。『さあ、これからお母さんがいうことを、ようく聞くのよ』お母さんが真剣になっているのがわかって、バンビははりつめた気持ちで聞きました。胸がどきどきしています。『草原を行くのは簡単なことじゃないの』お母さんがはなしはじめました。『むずかしい、危ないことなの。どうしてかということはたずねないでね。これからおまえが自分で覚えていくことなんだから。いまは、お母さんがいうとおりにしなさい。できる?』
『うん』バンビは約束しました」(25〜26ページ)
「自分で覚えていくこと」がなにより大事で、そのためにはまず身近な母鹿の言葉を素直に聞き入れ教わる姿勢がなくてはならないのよ、そんなことを母鹿は静かに子鹿に教えます。
次は巣立ちの場面。ひとりぼっちになったバンビは母鹿を呼び続けますが、その時、出会った年老いた鹿の古老は、バンビに対しこう諭します。
「『なぜ、呼んでおる?』その古老がきびしくたずねました。バンビは畏れ多くてふるえました。こたえようにも声が出ません。『おまえの母親は、いま、おまえのめんどうをみることができぬのだ!』古老がことばをつづけました。そのきっぱりとした口調に、バンビは打ちのめされてしまいました。同時に、なんとすばらしい声だろう、とおもいました。
『ひとりでいることができぬのか? 恥ずかしいぞ!』バンビは、ひとりでいることなんか平気です、もう何度もひとりでいたんです、そういいたかったのですが、声が出ません。いつのまにかバンビはすなおにしたがう気持ちになり、自分が恥ずかしくてたまらなくなりました」(88ページ)
そう、すぐに誰かに頼ろうとしたり、徒党を組もうとするのは、子どもとはいえ、恥ずかしいことです。
そして、バンビが慕う古老との会話のあとのシーンも印象に残ります。なんとか一人前になったバンビが古老から試される瞬間です。
「誇らしい気持ちがバンビをみたしました。自分がおごそかな、重大なものに引き上げられたような気持ちでした。そうだ、生きるのはむずかしく、危険がいっぱいだ。どんなことが起こるかわからない。けれども習うのだ、なにもかものりこえていくために」(112〜113ページ)
「古老はバンビをじっと見ました。『長いあいだ見ぬうちに、おまえは大きく、強くなった』
バンビは何もこたえませんでした。よろこびにふるえていました。
古老は試すようにバンビを眺めつづけました。それから、おもいもかけないことに、バンビのすぐそばに寄ってきました。バンビは心底おどろきました。
『りっぱにふるまうのだぞ……』古老がいいました」(178ページ)
さらにザルテンは、季節の移り変わりや動物たちの営みの背後に隠れている、はるかに大きく絶対的なもの、その存在までも暗示します。
地上では、自然に翻弄されたり助けられたり、あるいは人間という動物によってパニックに陥ったりしながら生きていく動物たちの姿。冬は厳しい自然の掟を教えてくれるし、春は生命の確かさを感じさせてくれます。
個性豊かな鳥や小動物たちとの会話、季節の移り変わり、そして自然の掟とその下での身の処し方を伝える「古老」の言葉と振る舞いと気配……。
上質な芝居を見ているような感じになります。
この子どものための短い物語を読んだあと、多くの人が次のように感じるのではないでしょうか。
・動物たちの生態や習性がしっかりとらえられている
・自然の移り変わり、動物たちの成長、それらが渾然一体となっている
・同様に、事実と精神性、具体と抽象が見事に重なり合っている
・小さい頃からなれ親しみぼんやりと抱いていたバンビのイメージを、良い意味で覆される
だから、「楽しかった」「おもしろかった」「良かった」では終わらない。
つまり、ディズニー映画の『バンビ』とは一線を画しています。ハラハラドキドキのあらすじをたどるだけならば、映画で間に合うのでしよう。
でも、ザルテンからのメッセージが「森の、ある一生の物語」であり、子どもから大人への成長であることを思えば、やはり、魂を抜かれる前の原作にも触れるべきだと思います。研ぎ澄まされた文章に向き合い、想像力をかき立てることです。
ちなみに、ザルテンはのちに続編とも言える『バンビの子供たち』を書きました。幼かったバンビは「堂々としてひきしまった顔だち、黒々とかがやく大きな目、大きくてりっぱな、王冠のような角」をもつ、ノロジカのリーダーへ成長。幼友達のフェリーネとの間に2頭の子ども(ゲーノとグリ)をもつ父親になっています。
続編では、動物同士の会話が増え、文章もずいぶん説明的です。悪意をもつ人間とともに善意の人間の存在にも焦点が当てられています。それでも、自然の掟の下で成長する動物たちの緊張と安楽は本編と同じように伝わってきます。
もちろん、脇役や敵役にまで目配りした構成、含蓄のある詩的な語り口など、ザルテンが得意とする誠実で落ち着いたエンターテインメントの要素は少しも失われていません。
『バンビ』を読んだら、『バンビの子供たち』(かなり古い本ですが、『ザルテン動物文学全集』の1冊として白水社から出版されています)を図書館の書庫の中から見つけて、読んでみてはどうでしょうか。書棚にないからといって諦めないでくださいね(本当は、もう一度出版されるのを期待したいのですが……)。
いずれの2冊とも、親と子、大人と子どもにとって良質な教材になることでしょう。
(知覧俊郎)
■本の紹介
『バンビ』(岩波少年文庫) フェーリクス・ザルテン著 岩波書店 2010年10月発行